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静岡地方裁判所 昭和43年(ワ)370号 判決

原告 望月孝

右訴訟代理人弁護士 池谷信一

同 倉田雅年

同 北島孝男

被告 立川芳男

被告 立川さよ

右両名訴訟代理人弁護士 松本樫郎

同 片山平吉

主文

被告両名は、連帯して、原告に対し、金七、四三三、〇六二円およびこれに対する昭和四三年一一月一日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告両名の負担とする。

この判決は、主文第一項に限り、原告において金一、〇〇〇、〇〇〇円の保証を立てることを条件に、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、原告が静岡市牧ヶ谷字谷津三六五番地の一および同所三六七番地において金魚を養殖していることおよび被告らがその近くに田畑を有し農業を営んでいることは、当事者間に争いがない。

二、被告らが昭和四三年七月一四日右静岡市牧ヶ谷字谷津三六七番地の原告所有の養魚池の西側に隣接する同市牧ヶ谷字天神一、八六〇番の五被告さよ所有地上において共同してエンドリン乳剤を散布したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、右エンドリンの散布は被告らが右地上に有する柿の木の駆虫のためにされたもので、エンジンのついた噴霧機械を使用し、その消毒液を噴射する竿の高さは背たけの二倍から二倍半に及び、また筒先には霧が四方に拡がるようノズルが装着されているものであって、これにより高さ十米にも及ぶ柿の木に粉霧状となった薬剤を吹きかけて消毒していたものであること、当日は風が弱くほとんど微風程度であったためもあって、右エンドリンの散布による消毒のにおいは付近一帯にひろまり、原告およびその家族でのどの痛みを感じた者もいたほどであり、また当日原告の金魚を買いにきた顧客が消毒のにおいがくさいが大丈夫かと原告にいったくらいであったこと、そしてその翌日の七月一五日の昼すぎ、原告の金魚を買いにきた顧客に指摘されて金魚の異常を発見し、被告所有地の柿の木に最も近い養魚池の金魚が一部死に、他の養魚池の金魚もくるくるまわるなどその様子がおかしい状態にあったことを発見したため、養魚池の水をかえる等の手当てをしたが、その効果がなく、翌一六日から一七、一八日にかけて、柿の木に近い方の養魚池の金魚は全滅、柿の木からはなれた養魚池の金魚も多数死んで、少なくとも別紙積極的損害額一覧表記載の当年産各種金魚合計六四、五〇〇尾および種魚三尾が斃死したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右金魚の斃死の原因について、原告は被告の散布したエンドリン乳剤が原因であると主張し、被告は金魚の斃死は酸素不足、水温の急激な変化等多くの原因によって生ずるものであって本件金魚の斃死はいずれの原因によって生じたものか不明であり、少なくとも被告の散布した乳剤が原因ではないと主張するので、この点について判断すると、まず金魚の斃死が被告の主張する(一)酸素不足、(二)水温の急激な変化、(三)金魚の病気、(四)金魚を過密に飼った場合等にも生ずることは当事者間に争いがないが、本件の場合右の四つの原因の存在はいずれもこれを認めることができない。すなわち、まず(一)酸素不足については、その原因とされる天候の急変、水温の高低、植物性浮遊物の死滅または減少、池中の有機物の腐敗ならびに飼育魚数の過量等があったとは認められず、また酸素不足の場合に金魚がするいわゆる鼻上げ(口を水面に出して空気中の酸素を吸う状態)を本件金魚がしたとは認められない。かえって≪証拠省略≫によれば、原告の養魚池においては有機物の腐敗、植物性浮遊物の死滅、水温の激変、飼育魚数の過量等は全く考えられず、また水は三日に一度はかえていたので、酸素不足などおこりようもなかったことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。さらに≪証拠省略≫によれば、酸素不足の場合は水を入れかえる方法によって金魚の斃死を防ぐことができるものであり、酸素不足で弱った魚を新しい水の中に入れてやればすぐに回復することが認められるから、前認定のように水をかえたにもかかわらずその後大量に斃死している本件の場合は酸素不足によるものでないことが窺われ、また、≪証拠省略≫によれば、酸素不足の場合苦しがって狂奔するとか、けいれんするとかいうことはないことが認められるが、この点からも、後記認定のように金魚が狂奔して斃死した本件の場合酸素不足によるものでないことを窺わせるに十分である。以上の理由により本件金魚の斃死は酸素不足によるものでないと認められる。(二)水温の急激な変化については、≪証拠省略≫によれば原告の養魚池は地下水を使用していることが認められるから、金魚の大量斃死を招来するような水温の急激な変化があったものとは認められず、これが本件金魚の斃死の原因になったということはできない。(三)金魚の病気については、≪証拠省略≫によれば、金魚の病気で大量斃死という現象がおこる場合、大体において、はじめのうちはぼつぼつと前兆みたいな形で少し金魚が死に、三日目か四日目に大量にぐんと死ぬというのが普通であると認められるが、本件の場合このパターンをとらず、最初から相当多量の金魚が斃死していること前認定のとおりであるから、金魚の病気が本件斃死の原因であるということはできない。(四)金魚を過密に飼った場合については、原告は金魚の養殖を業とする、いわば専門家であって、金魚を過密に飼ったためこれを大量に斃死させたなどということはとうてい考えられない。以上のとおりであって、被告の主張する四つの原因はいずれもその存在が認められないといわざるをえない。

かえって、本件各証拠を総合すると、原告の金魚の斃死は被告の散布したエンドリン乳剤がその原因であると推認するに十分である。すなわち、≪証拠省略≫によれば、被告がエンドリン乳剤を散布した柿の木と原告の養魚池との距離は、近いものでわずか一〇米、遠いもので約三〇米余という極めて短いものであって、一〇米近い高さの柿の木に噴霧機械で消毒薬を吹きかけた場合、粉霧状となった薬剤が落下することも十分考えられる近さであることが認められるのみならず、≪証拠省略≫によれば、被告が散布したエンドリンという農薬は毒性が極めて強く、体長四ないし五センチの金魚の場合(≪証拠省略≫によれば本件で死んだ金魚は三匹をのぞきすべて当才魚で、七月当時ほぼ三センチの体長であった)いわゆる二四時間の半数致死量は〇・〇〇三PPM、四八時間の半数致死量は〇・〇〇二PPMであって、かりに二米四方で深さ一〇センチの養魚池である場合(本件養魚池が縦一・七五米、横一・六米、深さ〇・一米であることは≪証拠省略≫により明らかである。)五〇〇倍(被告の散布したエンドリン乳剤は五〇〇倍にうすめられたもの約七斗であったことは、≪証拠省略≫により明らかである。)にうすめられたエンドリン乳剤であれば、一CC落下すると〇・〇〇一PPM、二CC落下すると〇・〇〇二PPMの濃度となって、容易に右四八時間の半数致死量に達しうることが認められる。また、≪証拠省略≫によれば、エンドリンはいわゆる神経毒であって、これを魚に高濃度に与えると、魚は神経が犯されるため、あちらへとんだりこちらへとんだり狂奔して死ぬことが認められる一方、≪証拠省略≫によれば、本件の場合金魚がいわば狂乱状態で、くるくる回ったり、非常な早さで壁にぶっつかったりしていたことが認められるから、この点からしても本件金魚の斃死の原因がエンドリンであることを窺うに十分である。

以上のとおりであって、本件金魚の斃死の原因は被告らの散布したエンドリン乳剤であると推認される。≪証拠判断省略≫後記認定のように、原告は散布のはじまる前に六枚の池を掩ったが、≪証拠省略≫によると、その掩い方は十分なものではなくしかも散布を終るか終らないうちに急いで取除いたことが認められるから、その池の金魚が他の池と同じように全滅したことをもって、エンドリン以外の原因による斃死であるとはいえない。

三、そこで被告らの過失の有無につき判断すると、まず請求原因第(三)項記載の事実はすべて当事者間に争いがないので、被告らの使用したエンドリンは魚類に対する毒性が極めて強いため、農薬取締法第一二条の二による農林省振興局長通達「エンドリン、ディルドリン、アルドリンの今後の使用について」に基づく静岡県告示第二三二号「エンドリン、ディルドリン、アルドリン製品等取扱基準」により、散布薬剤が流入、飛散落下するおそれのある河川、湖、池沼、養魚池、水田およびこれらに通ずる水路等に近接していない畑地に限り使用することができるとされ、また、エンドリンの使用を希望する者は市町村長に散布場所等を届出なければならず、市町村長はその使用が魚類に影響を及ぼさないことを確認しうるものについてのみ届出を受理できることとされる等極めて厳重な使用規制がされていることが明らかである。また、被告立川芳男本人の供述によれば、同人は薬の注意書に川、池、沼などの近くでは使わないようにと書いてあることを知っており、エンドリンが魚に対する毒性が強いこと、川や池、沼の近くでは使っては悪いことを知っていたことが認められる。

そうだとすれば、被告らとしては、前認定のとおり原告所有の養魚池より僅か一〇米ほどの距離にある柿の木に対してエンドリン乳剤を散布することは、養魚池の金魚に対し重大な危害を加えるであろうことを予見しあるいは予見しうべかりしであったものというべきであり、この点において被告らには過失があるものといわざるをえない。被告らは、当時風向きが南西で山に向って吹いていたので大丈夫だろうということで消毒したと主張するが、川や池、沼の近くでの使用が禁止されているエンドリンを養魚池の一〇米近くで使用するのであるから、風向きだけで大丈夫であろうと軽信したことはそれだけで過失があるということができよう。また、被告らは、作業を開始する前、原告に対し了解を求め、原告は用心のため畑近くの六か所の養魚池にふたをし、これで大丈夫だといったので消毒をはじめた旨主張する。この点については後記認定のとおり原告にも手落ちがあり、過失相殺の問題が生じると解されるのであるが、しかし、被告らとしては前記のとおり魚に対する毒性の極めて強いエンドリンを使用するのであるから、原告に対する右程度の注意の喚起では足りず、少なくとも、使用する薬剤がエンドリンであって魚に対する激しい毒性を有するものであることを告知し、原告において金魚の十分な保護の方策をたてる時間的余裕を与えるべきであったと解され、被告ら主張の程度では、それ自体被告らに過失があったことを示すものということができよう。

以上のとおりであって、本件における原告の金魚の斃死は、被告らの共同の過失により生じたものと認められる。

四、そこで、次に、原告の被った損害額について検討すると、被告のエンドリン乳剤の散布により原告の金魚が別紙積極的損害額一覧表記載のとおり当年産各種金魚合計六四、五〇〇尾および種魚三尾斃死したと認められることは前に認定したところであるが、右斃死により原告が被ったと主張する損害のうち、いわゆる通常生ずべき損害の額は金九、九一〇、七五〇円と認められ、この金額が被告らにおいて原告に対し賠償すべき金額であると一応認められる(なお、過失相殺の問題については後に触れる)。

すなわち、まず、原告は、原告のような高級金魚販売業者は、当年産の金魚の五割をその年の一一月まで売り、五割を残して二才魚に育て、卸値・小売値とも六倍ないし十数倍になる翌年四月ごろから又売り出すのが常であるとして、このことを前提として得べかりし利益が金二〇、七三〇、七一八円であると主張しているが、このような事実は、専門の金魚養殖業者でない被告らにおいて、とうてい予見することができなかったものというべく、いわゆる予見可能性のない特別事情に基づく損害として、これを被告らに賠償の請求をすることは許されないものというべきである。

そして、本件不法行為によるいわゆる通常生ずべき損害は、斃死した金魚のその当時における時価と解すべきところ、≪証拠省略≫によれば、原告は小売りを主にしていたことおよび被告らはそのことを知っていたことが認められるので、≪証拠省略≫を考え合せれば少なくとも原告の金魚は小売り七割、卸売り三割の割合によってその時価を算定することが許されるものと解すべく、≪証拠省略≫によれば、斃死した各種金魚の小売値および卸値は、少なくとも別紙積極的損害額一覧表記載の小売値および卸値を下ることはないと認められるので、これを基礎として損害額を計算すると、いわゆる通常生ずべき損害額は合計金九、九一〇、七五〇円となるわけである。≪証拠判断省略≫

五、そこで、進んで被告らの過失相殺についての抗弁につき検討する。被告らは、本件エンドリンの散布前、消毒薬を散布する旨原告に告知したから、原告としては、少なくとも養魚池全部にふたをする等の措置をとるべきであったのに、僅か六枚の養魚池にふたをしたにとどまる点、および特別高価な金魚を養殖しているとすれば、これを十分周知させあるいは防止蔽、防護柵を設けるなどの方策をとるべきであったのにこれを怠った点に原告の過失があると主張する。当裁判所もこの点については被告らの右主張は全く排斥してしまうことはできないと考える。すなわち、本件エンドリンの散布前被告らから消毒薬を散布する旨告知された原告としては、「去年と同じ」消毒薬だからという被告の言葉を軽信することなく、少なくとも養魚池全部にふたをするなどの措置をとるべき注意義務があったものと解される。原告はこの点につき、養魚池六枚分のおおいしかなく、当日おおいを更に調達する時間的な余裕もなかったと主張するが、被告主張のとおり、特別高価な金魚を狭い養魚池に密集して養殖する金魚養殖業者としては、このような場合に備えてなんらかのしゃへい物あるいは防止蔽のようなものを日頃から準備しておく必要があったものというべく、結局全体として、原告も損害発生防止につき必要な措置をとらなかった過失の責任を免がれることはできないものといわざるをえない。なお原告は周囲を田畑でかこまれたところに養魚池を持っているわけだから、とりわけ農薬散布に対し注意することが必要であった。

そして右原告の過失による過失相殺の割合は、被告の過失が三であるとすれば原告の過失は一であるという割合、すなわち損害額の四分の一は原告において負担し、被告に請求できないものと認めるのが相当である。これによって被告らが原告に対し賠償すべき損害額を計算すれば金七、四三三、〇六二円となる。

六、以上のとおりであって、原告の本訴請求は被告らに対し連帯して損害賠償金七、四三三、〇六二円の支払およびこれに対する本件訴状送達の日の後であることが記録上明らかな昭和四三年一一月一日から右支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、原告のその余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水上東作 裁判官 宍戸達徳 中島尚志)

〈以下省略〉

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